別府の温泉街

 大分県の別府は温泉で名高いところであるが、駅は普通の高架駅でホームも二面あるだけの中間駅。駅前も過剰なほど土産屋があるわけでもなく、どちらかと言えば落ち着いた風情である。
 海の方角に向かって緩やかな下りになっている駅前の道の途中に、小さな銭湯みたいな建物がある。「駅前高等温泉」というその温泉は、浴室も小さく開業は大正と古い建物だが、朝から営業しているのが特徴である。関西から大分に向かう寝台特急「彗星」で早朝大分に降り立った時に、この温泉で朝風呂の浸かった。

 別府という所は駅を挟んで山側には地獄めぐりと呼ばれる色の付いた源泉が吹き出す場所があり、海側は観光ホテルが林立しているという、二つの風景があるのだが、そのホテル群がいずれも大きく、また建物の感覚にゆとりがあるからかスケールの大きい風景に見える。その建物と広々とした海の眺めが少し異国情緒だ。しかし、温泉街の裏道に入れば、そこは日本の温泉繁華街の正統風景が展開される。ピンク色や黄色などのネオン看板。呼び込みの男性。少し薄暗くなってまだ夜の始まりみたいな時間であっても、既に温泉の夜は始まっているのだ。
 そんな場所の一角に、竹瓦温泉という重厚で大きい共同浴場がある。明治に開業し、昭和13年に改築したという建物は寺院を思わせる形。改築前は屋根を竹で葺いていたという事で、これが名前の由来であるそうだ。
 中に入ると柱時計が掛けられた休憩場がある。木造の建物ならではのひんやりとした空気と、温泉の蒸気の質感が混ざった絶妙な湿気に身を委ねて脱衣所に行くと、浴室との間には仕切りがない。脱衣所から木の階段を下りていくと浴室という構造なので、脱衣所から浴室が見下ろせる。お湯は熱く、さすが湧出量日本一を誇る別府温泉の中の共同浴場と思わせるものがある。

 近くには、大正10年に完成したという現存する日本最古のアーケード「瓦小路」がある。細く短いアーケードにはスナックなどが並び、昔ながらの温泉街の面影を残す。別府という有名観光地にも、このような風景が残っている事に驚きながら夜の町を歩けば次第に空腹感が増す。
駅前通りに出て、昔ながらの食堂の姿をした店で、大分名物の「とり天」や「だんご汁」を食べてくつろぐ。もはや異国情緒ではなく、古きよき日本の原風景に触れる旅の気分になっていた。

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下諏訪の温泉

 春休みの青春18きっぷの有効期限最終日である4月10日に、中央本線の日帰り旅をした。
 4月上旬、この時期の中央本線は花街道である。桜は勿論、山梨市付近では線路の両側に広がる桃畑には桃の花が色づき、線路脇には菜の花が鮮やかに彩りを添える。昼過ぎに着いた松本城も、堀の周りは桜の木が満開であった。

 松本からの帰り道。夕食は甲府駅前でほうとうを食べるつもりだが、その前に夕暮れの静かな町を歩きたい。私は下諏訪で降りてみた。
 大きな湖である諏訪湖のほとりには上諏訪と下諏訪と二つの町がある。それぞれ諏訪大社の上社と下社があるが、町としては諏訪市である上諏訪の方が栄えており、駅前にはデパートがあり、またそのデパートには温泉が入っていたり、駅のホームには足湯があったり、観光客受けする要素も備えている。
 それに対して下諏訪は諏訪市ではなく下諏訪町だから周辺人口は少なく、駅前の建物の高さは低い。

 諏訪大社では前日から御柱祭が行われていて、この日は下諏訪にある下社で開催されていた。御柱祭は、大きな柱を男達が力を合わせて運ぶ荒っぽい祭である。
 駅を降りると祭を見終えた人達で賑わっている。下諏訪は片側一車線の道ばかりで商店も少ない。普段なら夕方は静かな町だろうが、こういう静かな町が祭で静かに明るく盛り上がっている姿は悪くない。

 下諏訪には11の温泉共同浴場があるが、以前訪れた時に入った菅野(かんの)温泉を選んだ。時間の余裕がないため、駅から近くてわかりやすい場所を選んだ。菅野温泉は何回も入りたくなる温泉ではある。

 菅野温泉は白壁の建物の一階の通り抜けの中に入口がある。木の引戸を開けると下駄箱があり、自動販売機で220円の入浴券を買うと楕円形のプラスチックのプレートが出てきた。これを番台に渡して入る。
 脱衣場のロッカーは木製で扉がないので、貴重品は番台に預けてから入浴。
 白い壁と天井が高い。20人くらいは入れそうな広さだが、両脇に備えられた蛇口は10人分くらいしかなく、浴槽も五人くらいが妥当な広さだ。所々が少し欠けたタイルが古さを演出する。

、いい気分で温泉を出て駅までを、行きとは違う道を選んで歩く。太陽が傾いてきた下諏訪の町は、祭の匂いも和らぎ、静かな夕方へ姿を変えていく。
 誰も歩いていない小道に山から吹く風が通りすぎていく。駅の回りだけはまだ帰りの客で賑わい、祭がまだ続いているかのようだった。

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神岡の谷を濡らす雨

 東京から北陸に行くルートで一般的なのは、上越新幹線で越後湯沢に出て北越急行ほくほく線に乗り換えるか、東海道新幹線から北陸本線というルートだが、私が初めて北陸に行ったときは岐阜から高山本線を利用した。三月であった。
 飛騨川の渓谷に沿って走る岐阜から高山までの区間も良かったが、高山から先の風景が印象的であった。春の訪れとはまだ遠い山の斜面に積もる雪。小さな農村。細いホームと小さな駅舎。そこには「本線」という呼び名とは違う世界があった。

 その風景にまた接しようと、初来訪から四年後の四月に訪れた。前回は特急だったので今回は鈍行を利用して、ゆっくりと車窓と向き合う。

飛騨の小京都と呼ばれる高山で降りて、格子戸の店が並ぶなど江戸の風景を残す上三之町を歩いたりしたが、観光客の多さに疲れを感じながら高山を後にした。
 高山から先に現れた景色は四年前と同じ雪と農村の風景。山に行けばどこにでも見られる風景ではあるが、そこに線路が敷かれ、人家の少ない地を走っている事に、それが本線である事に旅情を憶えるのだ。乗客のまばらな車内でそんな事を思いながら、富山県に入った一つ目の駅猪谷(いのたに)で降りる。
14時37分発の神岡鉄道の列車に乗る。神岡鉄道は猪谷から出ている全長19.9kmのローカル線で、国鉄神岡線だったものを地元と民間企業が買い取った第三セクター鉄道である。
 前から見ると白いカマボコを思わせる丸みを帯びた形の小さなディーゼルカーには「おくひだ1号」という名前が正面にペイントされていた。その「おくひだ1号」は寂しいくらいに空いている。土曜日の昼下がりだから、もう少し学生客がいても良いとは思うが、向かい合わせのクロスシートが並ぶ車内にはお年寄りが数人居るだけだ。車内の中央部分に囲炉裏があり、それを囲むように「コ」の字に並べたソファのように座席が置かれている。乗客が少ないからこそ出来る演出なのであろう。

 列車は岐阜県に入り、高原川の上流に沿って走る。岩が荒々しい谷に沿い敷かれた線路は次々とトンネルに入っていく。全線の64%がトンネルだそうだ。人家は少ない。このような土地であるから乗客が少ないのも致し方がないのだが、何故そのような場所に鉄道が出来たのかと言えば、神岡に鉱山があり、その鉱山から出る硫酸を貨物輸送しなければいけないという使命があるのだ。会社の収入の7割が貨物収入という鉄道である。

 15時09分、終点の奥飛騨温泉口に到着。旅情を誘う駅名だが、温泉までは数十キロ離れており、一応バス路線はあるものの、観光ルートからは外れた駅である。
 コンクリート平屋の小さな駅舎を出て小さな駅前を眺める。観光バスが停まるような眺めではなく、人家も商店も少ない。山の手前の小駅といった佇まい。その小駅に喫茶店があった。「あすなろ」と書かれたその店に入り「あすなろブレンド」というコーヒーを飲む。300円。猪谷-奥飛騨温泉口の運賃450円。

 高山は青空だったが、山間である神岡は曇り空で今にも雨が降って来そうな空。私は隣の駅まで歩いてみる事にした。

 このあたりは神岡の中心部からは外れているようで、建物は少ないが、歩いていると次第に少しずつ人家が現れてきた。そして雨が降ってくる。谷が広がったあたりに架かる橋のそばに神岡大橋という駅があった。まだ出来てから真新しい小さな駅舎の待合室に入ると、地元の人が寄附した雑誌や本が棚に置いてある。
16時36分の猪谷行きも空いていた。雨の車窓は先ほどよりも眺めを寂しくさせる。雨に煙る山間の無人駅。小さな屋根付きベンチで奥飛騨温泉口行きを一人待つ女の子が見えた。この雨の中、どこへ行くのだろうか。

 17時04分、猪谷着。富山方面の高山本線の列車まで23分時間があるので駅前を歩く。猪谷は名前の通りに谷の駅だが、谷が広がったところの中腹に作られた狭い町である。人通りの少ない細い駅前通りには、古びた雑貨屋などが並ぶ。江戸ではないが、この眺めも昭和の田舎の原風景ではないだろうか。

 ストーブに火が灯る小さな待合室には観光客はいない。

 ※ 2004年、神岡鉄道の主要な収入源であった貨物輸送がトラックに切り替わり、更に一日の乗客数が100人以下である事から存続が困難になり、2006年12月に廃止となった。地元の市長が観光鉄道として再開する事を提案したが、選挙でその計画に反対する立候補者に破れ、観光鉄道化は頓挫した状態である。

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渓谷の静かな湯〜川原湯温泉〜

 先日、青春18きっぷを使って群馬県の吾妻線(あがつません)に乗ってきた。吾妻線は渋川から大前までの55.6kmのローカル線である。
 私の旅は一人旅が多いが、今回は同行者がいる。同行者のNちゃんは近年、鈍行の旅に魅せられた一人だ。

 あいにくの曇り空の下、吾妻線の電車は三両でのんびりと走る。吾妻川に沿った線路は、やがて川が渓谷になるのと合わせるかのように、崖にへばりつきながら、川を見下ろす高さを往く。
 渋川から約50分ほどの岩島を出たあたりで、左窓に流れる吾妻川の上に大きな高架みたいな建築途中の建造物が現れる。八っ場(やんば)ダムの建設中の姿だ。
 ダム建設は中止の方向になったが、もし建設されると川幅が広がりこのあたりはダム湖になり水没する。
 岩島と川原湯温泉の間には「樽沢トンネル」という日本一短いトンネルがある。全長7.2m。電車一両の1/3くらいの長さであるから、あっという間に通り過ぎる。この愛らしいトンネルも水没予定区間内だ。

 1日に5本しか列車がやって来ない終着駅大前まで一旦乗ったあと、折り返して川原湯温泉で降りる。大前では20人くらいの鉄道ファンを見かけたが、川原湯温泉で降りたのは10人に満たない。
 木造の壁を白塗りした古い駅舎を出て駅前に立つ。山裾には靄がかかり、空気は冷たい。案内板に従い温泉街を目指すが、誰も歩いていない。一緒に降りた人達は先に行ってしまったようだ。案内板を一緒に見ていたおじさんは一人で駅のすぐ近くの吾妻渓谷へ向かった。紅葉の時期は素晴らしい場所だそうだ。

 人も車も通らない細い道を上る事10分。道の両脇にくたびれた雰囲気の旅館やスナックが現れる。意識して気がついたが、どうやら温泉街に着いたようだ、
 数分も歩くと温泉街は尽きた。一番端の方に「王湯」という共同浴場がある(300円)。露天風呂も備えるような温泉だが、こじんまりとした構えは悪くないものの観光客向けらしく、Nちゃんも私も気が進まないまま、もう一軒の共同浴場である「笹湯」を目指して引き返す。

 笹湯は温泉街の道路から狭い階段を降りた所にあった。30cmくらいの長さの案内板が階段にくくり付けられていたが、気がつかずに通り過ぎてしまう位置である。
 古い物置小屋みたいな建物の入口には確かに暖簾が掛かっている。番台はなく、料金箱に300円を入れて入る。
 下駄箱から上がると扉はなくそのまま脱衣所につながっており、その脱衣所から浴室も仕切りのサッシなどはなくつながっている。(女湯と入口の間は暖簾で仕切られ目隠しされている)
 木枠の荷物入れに衣服を入れて浴槽へ。青いタイルの浴槽からはかすかに硫黄の匂いが漂う。
 先客の話によると、普段はガラガラで貸し切り状態になる事も珍しくないそうだ。静かな温泉場に相応しい静かな古い木造の浴場。貸し切り状態なら、聞こえてくるのは鳥のさえずりとお湯の流れる音だけであろう。

 川原湯温泉は水没予定地だが、既に水没後の新しい温泉街の建設計画が決まっていて、現在地より高い場所に作られる予定だそうだ。
 地元としては再開発に期待しているため、ダム建設賛成派が少なくないようだか、反対している旅館が一軒あるそうだ。そんな話を聞いていると、いつまでもこの鄙びた風景と静かな温泉は残しておいてほしいと願わずにはいられない。しかし、地元の人達には生活が賭かっているのだ。

 またここに来たいとNちゃんと話ながら駅に向かい歩いていると、空から小さな雪が舞ってきた。

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菜の花列車紀行

 春はよく房総半島に出かける。この時期の房総は、あちこちに菜の花が咲いている。菜の花の鮮やかな黄色は町に春を連れてくるように思えてくる。菜の花は千葉県の県花だ。

 私のオススメ房総巡りコースは、時計回りに回るルート。房総半島は広いので電車賃がかかるから青春18きっぷがお得だ。

 まず午前中は外房線の旅。大網、茂原、上総(かずさ)一ノ宮と過ぎていくと、だんだん景色も郊外の風景から農村的なものに変わっていく。東京からの快速も上総一ノ宮までである。
 いすみ鉄道の乗り換え駅である大原で降りて、バスなどを利用して九十九里海岸を見に行くのも良い。大原までのルートは、市原市の五井を起点とする小湊鉄道からいすみ鉄道を乗り継いでやってきても良い。房総の山地はさほど高くはないが、山越えの雰囲気は味わえる。

 外房線は御宿(おんじゅく)を過ぎたあたりから海岸線を往く。港町である勝浦で降りて魚介類を味わうのも良い。千葉を10時過ぎに出発すれば、勝浦の辺りで昼前だ。
 勝浦の先に行川アイランドという駅がある。「なめがわ」と読む。この駅は名前のテーマパークの最寄り駅だったのだが、閉園となってしまった現在は寂れた無人駅になってしまった。駅の回りは草むした空き地で無人地帯だが、駅前の国道は車が頻繁に通っている。そのギャップがもの悲しい。

 安房鴨川で外房線から内房線になる。鴨川は観光地なので海岸も賑やかだが、そういう雰囲気は求めていない人は更に先へ進んでみよう。外房線から内房線への接続は良い。

 安房鴨川から館山にかけては、よりひなびた沿線風景になっていく。安房鴨川~千倉は特急も走らず鈍行だけだから、小さな漁村を結ぶローカル線の趣きがある。江見(えみ)、和田浦、いずれの駅も海が近い。和田浦のホームには色とりどりの花が咲く。駅横の観光センターが貸してくれる貸し自転車が、「1日500円。2日で1000円」と安価なのも嬉しい。

 館山は駅前も広く、観光地だから土産物屋もある。駅から海岸への道も整備されていて風情には欠けるが、海岸の広々とした眺めは良い。そろそろ日が傾き始めた頃だ。内房線に乗るのを後にした理由は、夕日が海に沈むのを見るためである。内房線は、房総半島の西海岸を走る。
 夕日を眺めるなら静かな海岸を選びたい。保田(ほた)、浜金谷、上総湊、いずれもほどよく静かな海の町だ。
 浜金谷からは東京湾フェリーが横須賀市の久里浜港とを結んでいる。神奈川県の人には、フェリーを使った方が近道だ。乗り場は浜金谷駅前にあり、そこで魚介類のお土産も買える。甲板から夕日を眺めるのも良いものだ。ただし、春先は海が荒れる事も多いので注意。上総湊は線路脇にたくさんの菜の花が咲く。

 内房線は北上するにつれて、海岸はだんだん遠ざかっていく。元モーニング娘。の保田圭さんの出身地である大貫を過ぎ、やがて君津市、木更津市と入っていくと、もう都市電車の雰囲気が漂い始める。君津は東京からの快速の終点だから、やはり都市路線とローカル線との境目なのだろう。
 海岸は見えなくなってくるが、姉ヶ崎辺りの巨大煙突群の眺めには圧倒される。京葉工業地帯である。
 風景はローカル線のものではなくなってくるけれど、線路沿いには変わらず菜の花が咲き沿線を黄色に染めている事だろう。春が近い事を感じる眺めである。

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能代のヤツメウナギ

 初めて東北を旅したのは3月だった。二日目に青森県の五所川原(ごしょがわら)に行き、リンゴ畑の広がる岩木山の麓を往く五能線に乗って、秋田県の能代(のしろ)を目指した。

 私の乗った列車は「ノスタルジックビュートレイン」という客車列車。茶色いディーゼル機関車が、茶色と黄色のツートーンカラーの客車を引っ張る。
 私の乗った指定席は向かい合わせの座席にウッドテーブルが付き、天井には三枚羽根の大型扇風機が付いている。これは飾りで、エアコンは付いているのだが、このようにレトロな内装の列車である。しかし、観光シーズンではないから乗客はまばらで、地元の人が乗っている後ろの自由席車両もあまり人がいない。
 列車は日本海の荒波を横目に見ながら、波で削られた岩が並ぶ海岸を走る。人家は少なく、駅も小さな無人駅ばかり。指定席には展望デッキが付いている。ドアを手で開けてデッキに出ると、冷たい風が頬を刺してくる。濃い紺色の海に夕日が沈んでいった。

 19:00過ぎに能代に着いた。駅の近くにアーケードがあるが、既に多くの店は閉まり、ドーナツ屋とパチンコ屋が灯りを見せるのみ。
 私は駅から一番近い飲み屋に入った。

 小上がりの座敷とカウンターだけの店には先客はいなかった。私は旅行鞄とハーフコートを座敷に置いてカウンターに座った。
 ビールといくつかのツマミを頼み、日本海の夕日を思い出しながら味わう。初老の主人は無口に黙々と料理を作っている。
 ビールの瓶が空いたので、次は秋田の有名な地酒の一つである両関を頼んだ。これに合いそうな肴を思案していたら、壁に貼られたヤツメウナギという文字が気になり注文。

 目の後ろに空気孔が並んでいるかので八ツ目に見えるという。名前は知っていたが、食べるのは初めてだ。それを主人に伝えると、ようやく無口な主人が喋り出した。

 ヤツメウナギは市内を流れる米代川に行き、主人が自ら捕ってくる。滋養強壮の効き目が凄い。そんな話を聞きながら食べたヤツメウナギは、ナンコツのようなコリコリした歯応えのあるウナギであった。

 ようやく話が弾み始めたら、お客さんがやってきた。「見慣れない人がいるね。どこから来たの?」と聞かれ、そのおじさんは隣に座る。私が川崎から来た事を話すと、おじさんは「川崎か懐かしいな。俺は出稼ぎで鶴見で働いていた事があるんだよ」と答えた。
 ここからは、物静かな主人、明るいおじさん、自分の三人で話に花が咲く。
 能代市は昔は7万人くらい住んでいたが今は五万五千くらいである事。高速道路のインターが、青森県寄りの町大館市に出来てからは大館市の方が発展している事。今はバスケットボールで町おこしをしている事などが話題になる。能代市は高校バスケットの強豪能代工業がある。
 あまり景気は良くなさそうではあるが、二人とも地元への愛着は人一倍なようであった。居酒屋で知らない人と話をするのは初めてだった私だが、旅先で飲み屋に入ってコミュニケーションする楽しさを教えてもらった夜であった。

 「また来ます」と名残惜しく店を出た私は、予約していた駅前のホテルまでの道をほろ酔い気分で歩くのだった。

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銭湯の娘

 三月の旅の話。三月に北海道の網走に行った事がある。凍てつく寒さの中、夕方網走に着いた私は、店が並ぶ通りで良さそうな郷土料理店を見つけ、オホーツクの海の幸を味わい、外は寒いのにビールなどを飲み店を出た。

 アーケードに掲げられたデジタルの気温計はマイナス15度を下回り、寒いを通り越して肌が痛いのだが、冬の北海道の旅も二日目を過ぎたあたりで体が慣れてきたのか、数字ほどは寒さを感じない。

 今夜はホテル宿泊ではなく札幌行き夜行列車(オホーツク10号)に乗るのだが、まだ時間はあるのと、風呂に入らないと落ち着かないため銭湯に向かった。 予め調べていた銭湯が駅の近くにあるのだ。

 川に架かる橋を渡り、やってきた銭湯は住宅街のはずれみたいな場所にある。暗闇でよくわからないが裏は林らしい。
 古い建物だが意外に大きい。しかし、人の気配がしない。サッシ戸を開け中に入ると、番台には中学年くらいの女の子が座っていた。
 私は銭湯が好きで旅先でよく入りに行くが、番台に女の子が座っているのは非常に珍しい。年頃の子がいれば悪ふざけをする男性客が現れるかもしれないから、まあ他では見かけないのは当然の事だろうと思う。

 トイレは汲み取り式、くだびれた壁、しかし天井が高く広い銭湯だ。そんな広い銭湯に今いるのは自分とこの子だけみたいである。
 更衣室も浴室も誰もいない。聞こえてくる音は自分が発する音だけだ。浴槽に浸かると暖かい筈が、外の寒さから解放された安堵からか身震いした。

 風呂から上がると、番台はおばさんに替わっていた。結局、自分以外のお客さんは入って来なかった。

 外を歩き始めて数分。駅に向かう橋を渡る頃には、髪に付いた水滴が凍り、試しにタオルを持ちながら歩いたら、駅に着く頃にはカチカチになった。

 私は北海道フリーきっぷという、指定券も無料購入出来る切符を使って夜行列車の指定券を入手済みなので、暖房の効いた待合室に入って発車時間を待つ。夜の網走駅は人も少なく、この寒さに歩く人もいない。ひっそりとした夜であった。

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美瑛

 先日、図書館から鉄道紀行ライターでありカメラマンである矢野直美さんの「北海道のんびり鉄道旅」という本を借りてきた。
 ちょっと里田まいに似た雰囲気の矢野さんは、里田まいと同じ札幌市出身。JR北海道の特急の車内などにあるPR冊誌に連載していたものをまとめた本で、JR北海道全線を四季に分けて訪ねた一冊。ふんだんに掲載された写真も綺麗。富良野のラベンダーから流氷のオホーツクまで、北海道のシーズンズがパッケージされた本です。

 私も花を求めて六月の北海道を旅した事がある。富良野線の上富良野で降りてラベンダー畑に行ったが、ラベンダーはまだ咲いておらず、畑は緩やかな緑の丘であった。

 富良野線を北上していくと美瑛(びえい)という町がある。丘の町と言われ、色んなCMに美瑛の丘が登場しているそうだ。モーニング娘。の「ふるさと」のPVも美瑛で撮っている。
 美瑛は美瑛石の産地でもあり、小さな駅舎はグレーの石を煉瓦積みしたような可愛らしい駅舎。

 美瑛はあまり大きな町ではないから駅前通りは細い。その通りには、ブティックや洋菓子屋も並ぶ。小洒落た洋風の建物に統一されている通りは、とても静か。空は青い。

 すぐ駅前通りは尽き、道は上りになる。いくつか分かれている道は、どの道を辿っても緩やかな丘にたどり着く。
 丘の上に立つと目の前には、なだらかな稜線を描く丘がいくつも並び、それぞれの丘にポツンと何本か樹を従わせている。木には「セブンスターの木」などと、それぞれに名前が付いているのだそうだ。CM役者の揃う美瑛の丘であった。

 快晴の空の下、上り道を歩いても汗をかかないのは、湿気の少ない北海道ならでは。
 美瑛から旭川行きに乗り込むと、山を西日が照らす風景に出会えた。
 白いボディにラベンダー色のラインが入った富良野線のディーゼルカーは、黄昏を満喫しながらゆったりと走っているかのようだった。

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氷見線

 初めて北陸を旅したのは3月だった。名古屋から特急「ワイドビューひだ」に乗り、飛騨川の渓谷美を眺めながら富山に着き、夕方富山県第二の規模の町である高岡に着いた。
 高岡の駅前には小さい規模ながらロータリーの地下に店が立ち並んでいて、そこで蕎麦を食べたあと、加越能鉄道万葉線という路面電車に乗って宿泊先のホテルを目指した。夜の路面電車は学校帰りの女の子や、買い物帰りのおばさんを僅かに乗せて、灯りがさほど多くない駅前通りを走った。

 翌朝、ホテル近くのJR氷見線の越中中川駅に向かった。越中(えっちゅう)とは富山県の昔の呼び名である。
 住宅地の中の小駅といった風情の越中中川は、高岡駅方面に向かう人は多いが、氷見に向かう人は少ない。やってきた氷見行きはやはり空いていた。

 列車はしばらく住宅地を走ると、やがて製紙工場が連なるエリアに入っていく。伏木という駅では工場が回りにそびえ、ホームの横には木材を積んだ貨車が停まっていた。
 およそローカル線らしくない眺めが続いた氷見線は、伏木を出ると右手前方に日本海を見せ始める。まっすぐに海に向かった列車は海の手前で大きく左にカーブし、ここからは海岸列車になる。堤防すれすれを往く。

 源義経が武蔵坊弁慶と雨宿りをしたという言い伝えがある雨晴海岸が近い雨晴(あまはらし)で降りてみたくなるが、このあとの予定が詰まっているため我慢して終点氷見に着いた。

 氷見は漁港の町でブリが有名だが、予定が詰まっているため時間がなく、すぐ引き返す。せめてと駅の写真を撮っていると男の子に声をかけられた。

 帰りの高岡行きは彼と合い席する事になった。彼は新宿区に住む高校生で、周遊券を使って北陸を旅しているという。
 驚いたのは宿泊代倹約のために、夜行列車を宿代わりにしているという話だった。周遊券は特急や急行の自由席に料金無しで乗れる。北陸本線には、大阪と新潟を結ぶ夜行急行「きたぐに」という列車があり、彼は「きたぐに」を宿代わりにして宿泊代をタダにしているのだ。
 さすがに、一週間に一回はホテルに泊まる予定です。と語る彼は疲れた様子もなく、二週間くらいの北陸の旅を満喫するのだそうだ。こういう貧乏旅行も学生時代ならではだなと思う私も周遊券で旅をしているが、私は三泊四日全てホテル宿泊である。今日はこれから福井だ。

 新潟方面に向かう彼と高岡に着いてから別れた。足取りは軽く、不思議な充実感を感じた。

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駅弁を売っている無人駅〜新潟・日出谷〜

 図書館から借りているレイルウェイライター種村直樹さんの「郷愁の鈍行列車」を読んでいたら、磐越西線(ばんえつさいせん)の話が載っていた。磐越西線には私も春夏冬に何度か乗ったが、思い出深い駅がある。

 7月の暑い日。青春18きっぷを持った私は福島県の郡山から磐越西線の鈍行に乗り、会津若松のホームに降りた。会津盆地は盆地特有の気候で風が生暖かく、汗が止まらない。
 盆地の農村の中を走り列車は喜多方に着き、私も喜多方で途中下車をした。喜多方は、蔵とラーメンが有名な町だから、私は駅前の店でラーメンを食べた。
 学生さんは割引などと品書きに書いてある、町の食堂風な店。鶏ガラのダシが効いたつゆが旨く、麺のコシもあるラーメンを食べると、再び汗が止まらない。

 喜多方から磐越西線は電車ではなくディーゼルカーになる。エンジンをうならせながら列車は盆地から山間へと入っていく。喜多方駅前の店で買ったワンカップの地酒を開けて、窓を開けて風を受ける。冷房の付いていない車両なのだ。
 車内は、会津若松か喜多方で買い物をしてきた風な中高生らが乗っているが、一両に20人くらいの乗車率。農村の小駅に停まる度に乗客は減っていき、やがて列車は新潟県へと入った。

 新潟県に入って二駅目の日出谷(ひでや)で降りる。この駅では駅弁が売られている事を、時刻表の記載で知っていた。ホームに駅弁やジュースやお菓子の入ったケースを提げた売り子のお兄さんがいた。しかし、列車は私を含めてわすがな乗客を降ろすと、そそくさと発車していき、結局誰も何も買わずじまい。駅前にある店へ帰っていくお兄さんの後ろ姿は、どこか寂しげだった。

 向かい合わせの二番線に一面のホームの横は雑草の茂る空き地。かつては、県境を越えるために蒸気機関車の増結などが行われていた駅なのだそうで、その作業で停車時間が長かった。駅弁が売られているのは、その時代の名残らしい。

 農協(JA)の事務所が入っているコンクリートの駅舎は無人駅。私は駅前からゆるい坂道を下りながら阿賀野川の上流の川岸を目指した。付近は山に囲まれ、僅かな平地に農地が開けた農村という風景だが、山肌が緩やかなので夕方が近い日差しがまだ山に隠れず輝いている。だから「日出谷」という地名なのだろう。(市町村名は、新潟県東蒲原郡鹿瀬町)

 阿賀野川の上流は護岸されておらず、自然の姿を残しゆるやかに流れている。ただただ静かな眺めだ。

 駅に戻ったが、新津・新潟方面の列車はまだ時間があるので、喜多方方面に一駅戻ってみる事にした。再び現れたお兄さんから駅弁「とりめし」を買う。
 日出谷より更に小さな農村な、一駅隣の豊美駅で降りて駅前を軽く歩いて時間をつぶし、ほどなくやってきた新潟方面の列車にようやく乗り込む。
 日出谷駅を再び通る。駅弁の売上が気になるが、前の席の人がお菓子や飲み物を買い、勘定が終わると発車。駅弁は買われなかった。

 寂しい気分で先ほど買った日出谷の駅弁を開ける。かわいい雌鳥の絵の描かれた包み紙、へぎで出来た容器。炒り卵とかしわのそぼろご飯。
 あまりに素朴な駅弁の味も美味しく素朴で、なんだか懐かしい味がした。

 列車はやがて、温泉町津川、越後平野に入り五泉と過ぎていき、空は紺色になっていった。明日はもっと駅弁が売れる事を願いながら、私は新潟を目指した。

 (誠に残念ながら、数年後日出谷駅での駅弁販売は廃止となってしまった)

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