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2011年2月

優しさの方法

去年、私の周りではアンハッピーな出来事がいくつもあった。
友人の友人がある日失恋した。その事を知ったのはその友人の友人が書いてるブログである。私は、失恋して悲しみ苦しんでいる姿をストレートに綴っているその姿に、彼女の強さを感じるとともに早く立ち直ってほしいから励ました。
しかし、こういう時の接し方というものは本当に難しい。彼女はありがた迷惑であるというようなリアクションをとってきた。私は初めはその反応が信じられなかったのだが、これは彼女が悪いのではない。励ました私のやり方が悪いのだと反省をする事にした。失恋というものはただ励ませばいいというものではない。

でも、そういう理屈は誰にでも当てはまるものではない。人によって違うのだ。とにかく優しく励ましてあげる事が必要なケースもある。私はそれをうまく使い分け出来ない自分に腹を立てているのだ。人を励ます時は、いつも以上に神経を使って対応しなくてはいけない。
それがうまく出来ないというのは、本当の優しさではないと思っている。私は本当に優しい人になりたい。

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優しさキャッチボール

 この季節になると思い出す事がある。そして、思い出しながら、優しさとは弱さでもあると改めて感じる。

 自分は八方美人では断じてないのだが、優し過ぎるところがあると自己分析している。それは長所でもあり短所なのだろう。でも自分はそれで今まで得をしたという実感が少ない。短所なのかもしれない。

 ある年の今くらいの時期、私は隣のデスクで一緒に働く同僚に恋愛感情を抱いていた。当時の自分は付き合っている相手がいたのだが、その相手とは周りから見ると付き合っているというには微妙な距離感があり、それが日常で顔を合わせる同僚に気持ちが惹かれる要因になったのだろう。
 だがその同僚は既婚者だった。

 私は優しく接して、お互い話も弾み仲良しな関係を築いていたつもりだったのだが、私が優しさという名のボールをたくさん投げる毎に、だんだんと相手は素っ気なくなっていった。既婚者だからあまり優しくされ過ぎても困る。そういう事だとわかってはいたが、人間は好きな気持ちが高まると止まらないものだ。以前のように楽しく毎日を過ごしたいと、更に優しさのボールを投げては更に相手が距離を作る。その繰り返しの日々になっていった。
 優しさというものはキャッチボール。一方的に投げても仕方がないのだ。相手は困るだけなのだ。理解はしているが、自分が制御出来なくなっていく。

 そんな頃、友人の彼女に思い切って相談をした。冬晴れの下、待ち合わせをした自由が丘の道を歩きながら、私は自分の悩みを伝え、もう人に優しくする事に疲れたと漏らした。
 彼女はこう言った。「優しさは○○さんのとても素晴らしい長所だから、優しさはなくさないで」。
 優しいばかりの人間なんて実は異性から見たら魅力がないのでは?と疑念を感じ、日々頭の中で浜崎あゆみさんの「Boys&Girls」の「いい人って言われたって、どうでもいい人みたい」というフレーズが渦巻いていた自分には、どこか救いの言葉にも思えた。

 結局、その同僚は1ヶ月後に退社した。会社の経営悪化で人員整理があり、私も同僚も会社を去る事になったのだ。一方的なキャッチボールになったまま、別れの挨拶もよく憶えていないほどあっさりした別れだったと思う。私自身も、優しい人間である事は止めない事にしたが、同時に同僚には諦めを決意していたのだ。

 月日が流れ、相手の気持ちになれば今は見えてくる。優しさのボールを一方的に投げている
状態なんてものは届いていない。そしてボールを投げ返さない事が答えだったのだと。
 あの頃の自分はどうかしていた。熱にうなされていたようなもので、本当に大切なものが見えていなかったのだと今は思う。その付き合っていた相手はその年の春に見合いをして、その相手と一年後くらいに結婚するのである。

 今でも自由が丘を歩くと、いや冬の晴れた日に街を歩くと、あの日友人の彼女が言ってくれた「優しさをなくさないで」という言葉が甦る。「いつかその優しさをちゃんと優しさで返してくれる人が現れる」という言葉と共に。

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