« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

明日天気になれ

自分は割と根拠のない自信で気持ちを落ち着けさせるタイプで、そんな事だから、シビアな状況でも楽天的にいられるのだと自負している。根拠のない自信とやらは怖い。現実にぶち当たったら、精神的に玉砕する危険性が高いからだ。
ところが、自己暗示というやつが本物の自信に変えるのだろうか、「これだ」と感じた事は上手くいく事が多々ある。それで、調子に乗らないのは、痛い目にもあって来てるからだが。

人を好きになって、この人と仲良くなりたいなと思う時、その思いが強過ぎるとダメになる事も少なくない。気持ちが空回りしているのは自分でもわかる。
でも、不思議と気持ちが落ち着いている時は上手くいく。心の奥底で根拠のない自信が働いているのだろう。

そんな自分なのだが、やはりどこかでダメだった時の事もイメージしていたりする。傷つきたくないのだろう。そんなだからダメなのだとも思うが、そういう考え方は案外ポピュラーなのではないかとも思う。

中島みゆきさんの歌で「明日天気になれ」という歌がある。「何につけ一応は絶望的観測をするのが癖です」という歌い出しで始まる。夢も欲もあるけれど叶うとは思わない。泣いてばかりで嫌になる。という思いを綴り、「雨が好きです。雨が好きです。明日天気になれ」と歌う。自己矛盾。本音と建前。

傷ついている姿など人には見せたくないと、誰もが思っている。自分に嘘をつくために、根拠のない自信という予防線を張る人。自分に嘘をつくために、どうせ上手くはいかないと自信がないという予防線を張る人。
自分は前者だけでなく、後者の部分も持つ自分だったりする。どちらにしても、明日は天気になってほしい事には間違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

心理

最近思うような文章が書けないでいる。心が病んでいるという訳でもないし、いや変わり者なのは昔からだが、以前みたく頭の中から次々と文章が浮かんでこない。下書き不要なくらい、スイスイと文章が浮かんでいた自分が、それが出来ない。

ちなみに、実はノープランでこの文章を書いている。自分で自分を試しているのだ。

またアイドリング!!!の話になるが、リーダーの遠藤舞さんが以前にブログで、「両思いより片思いが好き」と書いていた。片思いをしている自分を楽しむのだそうだ。
おそらく、世の多くの人がこの意見に賛同しないと思うが、自分は理解出来る。ハッピーな結末しか望まない人生よりも、敢えて悲しみとか苦しみとか、そういうものに正面から当たっていき、その状況を好きだと言える人生の方が深いものを見つけられる人生になるのではないか?
片思いをしている時だからこそ、自分や他人を客観視出来るようにも思える。幸せだと周りが見えなくなる事がある。子供が生まれた夫婦が子供のいない(出来ない)夫婦の前で子供の話をしたり、なんてのはよく聞く無神経話だが、それに近い仕打ちなんて日常に溢れている。自分も過去に知らず知らずのうちに人をそうやって傷つけてきたかもしれないのだ。

まいぷるさんが片思いというキーワードにこだわるのは、色々と深読みもしてしまう。絶対両思いにならないであろう恋。立場とか常識とか。いろいろな事が立ちはだかる恋。そういうものを経験してきている人なのかもしれない。いや、してきている人に違いない。

私の携帯電話(ドコモ)の待ち受けは今、まいぷるさんである。彼女の思想みたいなものは他の話も面白いし、もっと色々読んでみたいが、なかなか書いてくれない人である。繊細な人に見えるから、「思うような文章が書けない」のかもしれない。

こんな感じで思いついた事をだらだら書いてみた。半年後に改めて読み返したら面白そうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

一人

アイドリング!!!16号菊地亜美さんが先日ブログで「結婚しない」というような事を書いていました。先月二十歳になったばかりの女の子が、私は将来結婚しないなんて宣言するなんて、なんでそんな重い荷物を自分に背負わせるのかと思いながら、色々考えていました。
もしかして今好きな人が妻子持ちで叶わない恋?法律上結婚出来ない相手、つまり同性愛?結婚というものに夢を描けない思想?

世の中の映画、ドラマ、音楽、色んなものが恋愛をテーマにして、恋愛、恋愛と受け手側に迫ってくるのは、恋愛して結婚して子孫を残さないと国がダメになるという意味での、国家プロジェクトなのではないか?などと冗談まじりな妄想をしたくなるほど、世の中には恋愛というキーワードが溢れかえっている。うんざりするほどに。
そういえば以前、上司に言われた事がある。大人として最低限の義務は結婚して二人の子供を育てる事だと。二人生まれれば夫婦と同じ人数の子孫が残るから人口が減らないのは確かだ。人口が減るという事は国の盛衰に関わる問題だとは理解出来る。

でも、現実は独身者が増えているという。私の周りでも、結婚どころか恋愛もいいやという人が少なくない。収入に余裕がない状況で、自分以外の人とコミュニケーションしていくのは大変。一人が気楽という生き方も理解出来る。

私は以前ある人に「一人でも楽しそうに見えるから」と言われた事がある。趣味に没頭していると色々と誤解を与える。まして、自分の本心めいたものを表に出すのが苦手なAB型は特にそうだろう。
そんな事はないのだ。一人が気楽な時もあるが、淋しい時だってある。お互いの一人の時間を邪魔しないように、それでも心はちゃんと繋がっているという関係が理想ではないのか?私はそんな事をその時に考えていた。

あみみが本当に結婚しないのかはまだ誰にもわからない。叶わない恋愛をしていたのだとしても、そこに結論を求めてはいけないのだ。

ブログURL
http://yaplog.jp/lp-k-ami/archive/1350

| | コメント (0) | トラックバック (0)

撮る意味

自分は貧乏になると無性にカメラを買いたくなる。良くない性癖だ。ここ数年とても貧乏しているが、やはりカメラやレンズが欲しくて仕方がない。
衝動的ではなく実用的に欲しい商品もあって、例えば花撮り用にマクロレンズ。街用に超広角レンズ。でも買えないから手持ちのレンズで工夫しながら撮っている。そういう工夫が腕を磨くのだ。やせ我慢ではなく真実だと言いたい。

私がデジカメ写真を公開している掲示板で、以前こんな風に誉められた事がある。
「この人の写真は、どこにでもあるようななんて事のない日常の光景なんだけど、すごくいい。上手いなと思う」
これは最高に嬉しい誉め言葉である。なぜならば、私が目指している写真は、「日常のなんて事がないような光景、足を止めないような光景を写し、それを見た時になんか良いなあと思ってもらえるような写真」を目指しているからである。

綺麗な花や風景を綺麗に写す事はそれほど難しくない。綺麗な景色を良いカメラやレンズを使って写せばいい。面白くインパクトがある写真も難しくない。マクロレンズを使えば、びっくりするようなアップが撮れるし、魚眼レンズや超広角レンズを使えば人間の視界を超えた凄い広々とした写真が撮れる。
でも、町中で普通の標準レンズと言われる、広角でも望遠でもないレンズや、普通の広角寄りレンズを使ってスナップをしても、なかなかインパクトがある写真は撮れない。だから、変わった被写体を求めて歩いたり、通行人や看板などを巧く使って印象を変えたりと工夫をする事になる。これがなかなか難しい。でも、スナップは考え過ぎてもダメだから勢いで撮る。だからタイミングも大事だ。こういう出会いのタイミングは写真の神様に委ねるしかない。

時にはカメラやレンズの力を借りて面白写真にする事もある。iPhoneのトイカメアプリとか。こういうもので遊んでいるとなんかヒントが掴めそうである。
それでも自分は、機材に使われたりせず、自分が機材をフルに活用して面白さを引き出したい。カメラやレンズの本来のスペックとは違う良さを引き出したいと考えながら使っている。例えば、普通のレンズでどうやったら超広角みたくなるかというチャレンジもそうだし、トイカメアプリで逆にトイカメチックにならないような演出法にも取り組んでいる。
先日、トイカメアプリで加工した一枚をスレで公開したら、その加工は止めてと批判を受けた。まだまだ修行が足りないようだ。

話がややこしくなってきたが、要するに自分の写真のモットーはさりげなく撮りつつ、心を掴むような一枚を撮りたいという事だ。自分は派手な人間ではないから写真を派手にしても嘘っぽくなる。普通でありながら普通でない写真を目指します。
万人受けするタイプではないかもしれないけれど、わかってもらえる人には大ファンになってもらえるような写真。
やはり写真は撮る人を表すものだなと、自分でも思うのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »