« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月

下諏訪の温泉

 春休みの青春18きっぷの有効期限最終日である4月10日に、中央本線の日帰り旅をした。
 4月上旬、この時期の中央本線は花街道である。桜は勿論、山梨市付近では線路の両側に広がる桃畑には桃の花が色づき、線路脇には菜の花が鮮やかに彩りを添える。昼過ぎに着いた松本城も、堀の周りは桜の木が満開であった。

 松本からの帰り道。夕食は甲府駅前でほうとうを食べるつもりだが、その前に夕暮れの静かな町を歩きたい。私は下諏訪で降りてみた。
 大きな湖である諏訪湖のほとりには上諏訪と下諏訪と二つの町がある。それぞれ諏訪大社の上社と下社があるが、町としては諏訪市である上諏訪の方が栄えており、駅前にはデパートがあり、またそのデパートには温泉が入っていたり、駅のホームには足湯があったり、観光客受けする要素も備えている。
 それに対して下諏訪は諏訪市ではなく下諏訪町だから周辺人口は少なく、駅前の建物の高さは低い。

 諏訪大社では前日から御柱祭が行われていて、この日は下諏訪にある下社で開催されていた。御柱祭は、大きな柱を男達が力を合わせて運ぶ荒っぽい祭である。
 駅を降りると祭を見終えた人達で賑わっている。下諏訪は片側一車線の道ばかりで商店も少ない。普段なら夕方は静かな町だろうが、こういう静かな町が祭で静かに明るく盛り上がっている姿は悪くない。

 下諏訪には11の温泉共同浴場があるが、以前訪れた時に入った菅野(かんの)温泉を選んだ。時間の余裕がないため、駅から近くてわかりやすい場所を選んだ。菅野温泉は何回も入りたくなる温泉ではある。

 菅野温泉は白壁の建物の一階の通り抜けの中に入口がある。木の引戸を開けると下駄箱があり、自動販売機で220円の入浴券を買うと楕円形のプラスチックのプレートが出てきた。これを番台に渡して入る。
 脱衣場のロッカーは木製で扉がないので、貴重品は番台に預けてから入浴。
 白い壁と天井が高い。20人くらいは入れそうな広さだが、両脇に備えられた蛇口は10人分くらいしかなく、浴槽も五人くらいが妥当な広さだ。所々が少し欠けたタイルが古さを演出する。

、いい気分で温泉を出て駅までを、行きとは違う道を選んで歩く。太陽が傾いてきた下諏訪の町は、祭の匂いも和らぎ、静かな夕方へ姿を変えていく。
 誰も歩いていない小道に山から吹く風が通りすぎていく。駅の回りだけはまだ帰りの客で賑わい、祭がまだ続いているかのようだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チープでディープなα

 この前、友人からソニーα200というデジタル一眼レフを一万円で買った。αシリーズは数字でクラスが決まっていて、9番台が最上位なので、2番台はエントリーモデルであり、ソニーとしては2番台が液晶ライブビュー(液晶を見ながらの撮影)が付いていない機種、3番台が付いている機種という位置づけです。

 このライブビューは、ピント合わせも速く、液晶も斜めに動かせたりする可動式液晶なので、花や犬猫などをローアングルで撮る時に便利で、ライブビュー付きのαを散歩一眼レフに買う考えもあったのですが、ライブビューが付いていないα200になりました。
 何故か?ライブビューが付いていない分、ファインダーがとても見やすいのです。

 各種操作ボタンもわかりやすく、使い勝手はかなり良いカメラで、早速受け取ったそのままの足で原宿をスナップしてみました。
 これまで自分が使っているαはα-7デジタルというカメラですが、金属ボディなので重く、散歩には決して向いているとは言えない一台でした。しかし、α200はプラスチックボディなので軽い。操作性も軽快。ファインダーも見やすい。撮影テンポが良くなるカメラです。
 天気はあいにくの曇り空でしたが、竹下通り、裏原宿、表参道、道行く人達と小物を次々と写していきます。このリズム感が散歩スナップには重要で、それが出来るカメラである事が嬉しい。

 私は通行人も結構平気で撮るのですが、こちらの存在を気にさせる事がなく、それゆえに自然なショットを次々と撮れる。しかも、出来た写真の色はαらしく深みがあり、中間色が綺麗。

 見た目はプラスチッキーでチープ。でも手に取り付き合ってみると楽しく使いやすい。
 カメラでも人間でも、見た目は地味でも深みがあるのが好みです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Vistaで感じた事

 弟から、「PCが不調だから買い替えた。前のはプレゼントする」とモニタごとパソコンをもらって二週間が過ぎました。
 しょっちゅう電源が落ちるというのが問題だったのですが、セーフモードで立ち上げて、システム復元をしてから、新しいユーザーアカウントを作ったら収まりました。
 しかし、弟が使っていた前のアカウントを消すと再発。
 弟が引き渡し前に初期化しているので、アプリケーションの問題ではなさそうだけれど、理由不明。また弟のアカウントを復活させて、だましだまし使っています。
 まだあまりファイルを入れていない今のうちに、自分で初期化してOSをクリーンインストールするかなと考えています。

 Vista自体は、Mac OS Xを丸パクリしたかのような画面デザインで、Mac好きな自分には楽しいです(笑)。
 自分は丸パクリという行為自体は嫌いなんですが、Windowsそのものが元々、Mac OSを真似て作られているOSなので、今更その事でどうこう感じる事はなくなりました。
 でも、XPもそうでしたがフリーズが完全になくなっていないのは、改善要求をしたいポイントです。MacはUNIXベースのOS Xになってからはフリーズしなくなりましたからね。
 友人の旦那さんで、Linux(UNIXベースの汎用OS)を愛用している方がいて、Windowsは駄目OS、Mac OS Xはまだマシと言っていた事を思い出します。Windows7は少しはマシになったのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神岡の谷を濡らす雨

 東京から北陸に行くルートで一般的なのは、上越新幹線で越後湯沢に出て北越急行ほくほく線に乗り換えるか、東海道新幹線から北陸本線というルートだが、私が初めて北陸に行ったときは岐阜から高山本線を利用した。三月であった。
 飛騨川の渓谷に沿って走る岐阜から高山までの区間も良かったが、高山から先の風景が印象的であった。春の訪れとはまだ遠い山の斜面に積もる雪。小さな農村。細いホームと小さな駅舎。そこには「本線」という呼び名とは違う世界があった。

 その風景にまた接しようと、初来訪から四年後の四月に訪れた。前回は特急だったので今回は鈍行を利用して、ゆっくりと車窓と向き合う。

飛騨の小京都と呼ばれる高山で降りて、格子戸の店が並ぶなど江戸の風景を残す上三之町を歩いたりしたが、観光客の多さに疲れを感じながら高山を後にした。
 高山から先に現れた景色は四年前と同じ雪と農村の風景。山に行けばどこにでも見られる風景ではあるが、そこに線路が敷かれ、人家の少ない地を走っている事に、それが本線である事に旅情を憶えるのだ。乗客のまばらな車内でそんな事を思いながら、富山県に入った一つ目の駅猪谷(いのたに)で降りる。
14時37分発の神岡鉄道の列車に乗る。神岡鉄道は猪谷から出ている全長19.9kmのローカル線で、国鉄神岡線だったものを地元と民間企業が買い取った第三セクター鉄道である。
 前から見ると白いカマボコを思わせる丸みを帯びた形の小さなディーゼルカーには「おくひだ1号」という名前が正面にペイントされていた。その「おくひだ1号」は寂しいくらいに空いている。土曜日の昼下がりだから、もう少し学生客がいても良いとは思うが、向かい合わせのクロスシートが並ぶ車内にはお年寄りが数人居るだけだ。車内の中央部分に囲炉裏があり、それを囲むように「コ」の字に並べたソファのように座席が置かれている。乗客が少ないからこそ出来る演出なのであろう。

 列車は岐阜県に入り、高原川の上流に沿って走る。岩が荒々しい谷に沿い敷かれた線路は次々とトンネルに入っていく。全線の64%がトンネルだそうだ。人家は少ない。このような土地であるから乗客が少ないのも致し方がないのだが、何故そのような場所に鉄道が出来たのかと言えば、神岡に鉱山があり、その鉱山から出る硫酸を貨物輸送しなければいけないという使命があるのだ。会社の収入の7割が貨物収入という鉄道である。

 15時09分、終点の奥飛騨温泉口に到着。旅情を誘う駅名だが、温泉までは数十キロ離れており、一応バス路線はあるものの、観光ルートからは外れた駅である。
 コンクリート平屋の小さな駅舎を出て小さな駅前を眺める。観光バスが停まるような眺めではなく、人家も商店も少ない。山の手前の小駅といった佇まい。その小駅に喫茶店があった。「あすなろ」と書かれたその店に入り「あすなろブレンド」というコーヒーを飲む。300円。猪谷-奥飛騨温泉口の運賃450円。

 高山は青空だったが、山間である神岡は曇り空で今にも雨が降って来そうな空。私は隣の駅まで歩いてみる事にした。

 このあたりは神岡の中心部からは外れているようで、建物は少ないが、歩いていると次第に少しずつ人家が現れてきた。そして雨が降ってくる。谷が広がったあたりに架かる橋のそばに神岡大橋という駅があった。まだ出来てから真新しい小さな駅舎の待合室に入ると、地元の人が寄附した雑誌や本が棚に置いてある。
16時36分の猪谷行きも空いていた。雨の車窓は先ほどよりも眺めを寂しくさせる。雨に煙る山間の無人駅。小さな屋根付きベンチで奥飛騨温泉口行きを一人待つ女の子が見えた。この雨の中、どこへ行くのだろうか。

 17時04分、猪谷着。富山方面の高山本線の列車まで23分時間があるので駅前を歩く。猪谷は名前の通りに谷の駅だが、谷が広がったところの中腹に作られた狭い町である。人通りの少ない細い駅前通りには、古びた雑貨屋などが並ぶ。江戸ではないが、この眺めも昭和の田舎の原風景ではないだろうか。

 ストーブに火が灯る小さな待合室には観光客はいない。

 ※ 2004年、神岡鉄道の主要な収入源であった貨物輸送がトラックに切り替わり、更に一日の乗客数が100人以下である事から存続が困難になり、2006年12月に廃止となった。地元の市長が観光鉄道として再開する事を提案したが、選挙でその計画に反対する立候補者に破れ、観光鉄道化は頓挫した状態である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

居酒屋大全/ 太田和彦

 一般的には「居酒屋」というとチェーン系の飲み屋を指すみたいだが、あれはチェーン系飲み屋というジャンルであって居酒屋ではない。
 チェーン系飲み屋の良い言い方がないので、私はチェーン系などと呼んでいるが、あの手の飲み屋は安さや、(注文が出てくる)速さを買いに行く店であって、酒や料理を味わう店ではない。
 ○○ハイの類いは、ただ酔えれば良いという仕上がりで、カクテルなどはまさに「なんちゃってカクテル」であり、これをカクテルと呼んでは(紺野あさ美さんのお父さんを始め)町のバーテンダー達に対して失礼だろうと思えるほど。
 料理には関してはノーコメントだ(苦笑)。

 私の回りで、30過ぎたら(人に誘われたのならともかく)自分からチェーン系飲み屋に行ってはいけないと語っていた人物がいるが、確かにいい大人が行く類いの店ではないとは思う。
 それでも、金欠気味な私は泣く泣くチェーン系飲み屋を利用する昨今だ。

 そんな事をこうして書いている私だが、やはり20代前半まではチェーン系飲み屋ばかり行っていた。味なんかよりも、友人達とワイワイ盛り上がる事が大事だったからだ。だから、そういう人達のためにチェーン系飲み屋がある事は否定しない。

 角川文庫から出ている「居酒屋大全」は、「居酒屋とは何なのか?」を考えさせてくれる一冊である。
 グルメ情報誌のライターなども務める作者が、酒にこだわりを持つ友人(男女)を集めて、理想の居酒屋について語ったり、美味しい酒の飲み方について語ったりする前半は対談形式で展開する。
 対談形式だから読みやすく、チェーン系飲み屋や大量生産の酒への批判もユーモアを交えて展開する。食文化と食の安全への関心は一般にも注目されるところであり、ファストフードやコンビニ食、インスタント食品に対する安全性への警笛を書いたベストセラー本「買ってはいけない」がかつて注目されたように、本来はチェーン系飲み屋の提供する飲食物にも疑問を感じる人が大勢いても良い筈であると考えさせられる。

 後半は、理想の居酒屋を求めて東北・新潟を旅する一行の姿や、東京・大阪のオススメ店の情報など、グルメ情報誌的な内容も散りばめてある。血液型別居酒屋での振る舞いなどというページもあり、こういう企画へのサービス精神はライターさんならではであろう。

 一冊読み終わる頃には、居酒屋の良さ、美味い酒を手間隙かけて作る人達の努力、色んな知識も身につき、またスマートな大人の飲み方も意識出来るようになる一冊。

 表紙のイラストは、テレビドラマにもなった大ヒット漫画「夏子の酒」の尾瀬あきら氏が描いている。
 「夏子の酒」は新潟を舞台に、主人公夏子が幻の米を栽培し、その米から理想の酒を作る実話を元にした話だ。文化論からグルメ情報までを、わかりやすく楽しくも真面目に綴った綴ったこの本に相応しい表紙だと思える。

 ちなみに、居酒屋とは本来は「家庭料理をリーズナブルなお値段で提供する飲み屋」である。チェーン系飲み屋はリーズナブルではあるが、どちらかと言えば家庭料理ではなくファミレス料理であると私は思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雑誌と編集者

 先週図書館から、宮脇俊三さんの「終着駅」という本を借りてきた。この本は昨年秋に出版された、宮脇さんの単行本未収録作品を集めた紀行エッセイ本である。
 宮脇さんは元中央公論社の編集者だが、その宮脇さんが雑誌について語っているエッセイがあった。
 曰く、趣味雑誌はその趣味に対して情熱のある者達が薄給で作っているものだが、商業雑誌は、知識や熱意がある訳ではない者がマスコミの華やかさに引かれて入社して作っている。

 私は少し前まで雑誌中毒で、毎日のように雑誌を買っていた。近所の本屋から「いつもありがとうございます」 と贈呈のタオルを貰った事があるくらいなのだが、部屋が雑誌で埋もれてしまうので自重するようになった。

 そんな雑誌中毒な私でも、買うのは趣味雑誌、いわゆるオタク雑誌ばかりだった。
 例えば車の雑誌なら、カーセンサーやベストかーなどではなく、Tipoという雑誌。Tipoは旧い車や最近のでもマニアックな車、例えばロータスだとかアルファロメオみたいな車を取り上げている雑誌だ。
 趣味がパソコンな私だが、パソコン雑誌はほとんど買わず、唯一気に入りよく買っていたのはMac Fanという雑誌だ。Macの雑誌なのだが、実用的な記事以外にも、アップルのMacやiPodなどに対する設計思想やデザイン思想について語るコラムがあったり、社会とMacの関わりについてなどまで、読み物が充実している雑誌だ。それらの連載は単行本化もされており、私の本棚にも何冊かある。
 普通の車雑誌は車選びやドレスアップについて記事を掲載する。普通のパソコン雑誌はパソコンの裏技や新製品紹介記事を載せる。しかし、私はそういう実用的な記事には興味が湧かない。何故ならば、作り手の知識や思い入れが浅いからだ。

 実用的な記事ならば、メーカーが用意した資料でも記事は作れるが、商品に対しての思想や歴史や社会的背景についてまで語ろうとすれば、知識と熱意がなければ書けない。

 一般的な実用雑誌、つまり商業雑誌が物足りないのは、まさに作り手の知識と熱意が足りないからだと私は思っている。そういえば、カメラ雑誌も撮影技術やカメラの性能比較の記事ばかりなので買わない。

 こだわりというものがダサイものとされがちな世の中だが、面白いものをこだわり無くしては作れないのではないか?そう思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タッチパネルに見る日米の気質の違い

 iPhone 3GSを買う事を検討しています。今使っているドコモの携帯はメールと通話に使うための端末として、ウェブはiPhoneでという考えです。やはりデカイ画面でネットしたい。
 iPhoneそのものには特に不満はないのですが、一つちょっとなあと感じているのが「タッチパネル」。iPhoneの売りである部分です。タッチパネルでわかりやすい操作を実現したiPhone。その売りを否定してしまう訳ではないですが、指で液晶を触るというのがどうにもこうにも。

 タッチパネルを使った新機軸な端末と言えば、ニンテンドーDSもそうですが、こちらは指ではなくタッチペン。このあたりに、日本人とアメリカ人の神経質の程度というか、気質の違いを見ます。
 メイドイン京都なニンテンドーDSはタッチペンで画面を指紋で汚さない。こんな気配りにワビサビを感じるのですが、これはワビサビを間違って解釈しているのでしょうか?

 OSはアンドロイドOSでも何でもいいから、タッチペン、或いはそのような小道具を使う、メイドインジャパンなスマートフォンよ出でよ。そう願っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

渓谷の静かな湯〜川原湯温泉〜

 先日、青春18きっぷを使って群馬県の吾妻線(あがつません)に乗ってきた。吾妻線は渋川から大前までの55.6kmのローカル線である。
 私の旅は一人旅が多いが、今回は同行者がいる。同行者のNちゃんは近年、鈍行の旅に魅せられた一人だ。

 あいにくの曇り空の下、吾妻線の電車は三両でのんびりと走る。吾妻川に沿った線路は、やがて川が渓谷になるのと合わせるかのように、崖にへばりつきながら、川を見下ろす高さを往く。
 渋川から約50分ほどの岩島を出たあたりで、左窓に流れる吾妻川の上に大きな高架みたいな建築途中の建造物が現れる。八っ場(やんば)ダムの建設中の姿だ。
 ダム建設は中止の方向になったが、もし建設されると川幅が広がりこのあたりはダム湖になり水没する。
 岩島と川原湯温泉の間には「樽沢トンネル」という日本一短いトンネルがある。全長7.2m。電車一両の1/3くらいの長さであるから、あっという間に通り過ぎる。この愛らしいトンネルも水没予定区間内だ。

 1日に5本しか列車がやって来ない終着駅大前まで一旦乗ったあと、折り返して川原湯温泉で降りる。大前では20人くらいの鉄道ファンを見かけたが、川原湯温泉で降りたのは10人に満たない。
 木造の壁を白塗りした古い駅舎を出て駅前に立つ。山裾には靄がかかり、空気は冷たい。案内板に従い温泉街を目指すが、誰も歩いていない。一緒に降りた人達は先に行ってしまったようだ。案内板を一緒に見ていたおじさんは一人で駅のすぐ近くの吾妻渓谷へ向かった。紅葉の時期は素晴らしい場所だそうだ。

 人も車も通らない細い道を上る事10分。道の両脇にくたびれた雰囲気の旅館やスナックが現れる。意識して気がついたが、どうやら温泉街に着いたようだ、
 数分も歩くと温泉街は尽きた。一番端の方に「王湯」という共同浴場がある(300円)。露天風呂も備えるような温泉だが、こじんまりとした構えは悪くないものの観光客向けらしく、Nちゃんも私も気が進まないまま、もう一軒の共同浴場である「笹湯」を目指して引き返す。

 笹湯は温泉街の道路から狭い階段を降りた所にあった。30cmくらいの長さの案内板が階段にくくり付けられていたが、気がつかずに通り過ぎてしまう位置である。
 古い物置小屋みたいな建物の入口には確かに暖簾が掛かっている。番台はなく、料金箱に300円を入れて入る。
 下駄箱から上がると扉はなくそのまま脱衣所につながっており、その脱衣所から浴室も仕切りのサッシなどはなくつながっている。(女湯と入口の間は暖簾で仕切られ目隠しされている)
 木枠の荷物入れに衣服を入れて浴槽へ。青いタイルの浴槽からはかすかに硫黄の匂いが漂う。
 先客の話によると、普段はガラガラで貸し切り状態になる事も珍しくないそうだ。静かな温泉場に相応しい静かな古い木造の浴場。貸し切り状態なら、聞こえてくるのは鳥のさえずりとお湯の流れる音だけであろう。

 川原湯温泉は水没予定地だが、既に水没後の新しい温泉街の建設計画が決まっていて、現在地より高い場所に作られる予定だそうだ。
 地元としては再開発に期待しているため、ダム建設賛成派が少なくないようだか、反対している旅館が一軒あるそうだ。そんな話を聞いていると、いつまでもこの鄙びた風景と静かな温泉は残しておいてほしいと願わずにはいられない。しかし、地元の人達には生活が賭かっているのだ。

 またここに来たいとNちゃんと話ながら駅に向かい歩いていると、空から小さな雪が舞ってきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

島唄

 今、図書館から借りている「離島を旅する」(作者・向一陽/講談社現代新書)を読んでいる。沖縄の八重山諸島に始まり、北海道の利尻島まで日本の南北にあるたくさんの島々の中から、代表的なものや穴場的な離島を紹介している。
 その本の奄美大島の話の中に、島唄に関する事が書かれていた。

 島唄というと、思いつくのはTHE BOOMの「島唄」という人は多いと思うが、沖縄や奄美の島で歌われる、いわゆる民謡の事である。THE BOOMの歌は、その島唄の事を、琉球音階の旋律に乗せて歌ったものだ。
 この本に奄美大島の島唄の歌い手の方の話が出て来る。奄美大島は鹿児島県に所属しているが、沖縄の少し北にある島であり、奄美は奄美大島の他にも、与論島、沖永良部島、徳之島、喜界島などの島が有名だ。歌手の元ちとせさんは奄美大島の出身である。
 島唄の歌い手さんは、島唄は方言で歌われるものを指し、標準語で歌われているものは新民謡と呼んでいると、明確に線引きがされている事を語る。基本的には島の人が歌う歌なのだ。
 そして、高音を大きく出して歌う事、「裏声を使うのは逃げ」であると語るのだ。

 これは島唄の事を話しているように見えて、現代音楽、特に21世紀になってからの日本の歌い手に対してのメッセージにも思えたのは、私の考えすぎであろうか?
 私も日頃、裏声の多用に於ける歌唱力の誤解というものを感じていた。この十年くらいの風潮、多分小室サウンドが出て来たあたり、あるいはもっと古くビーイング系全盛の頃からだと思うが、裏声を巧みに操る事が上手い事の条件みたいに、J-POP界で思われてきている事が心外でならない。
 本当に上手い人は裏声など使わずに高音を発声するのであり、アクセントとしての裏声はアリであるが、これを多用する事が上手い事の証明ではないと思っている。
 残念ながら、ハロプロでも裏声信奉みたいものが、おそらく教えている側から伝授されている事実があり、多くのメンバーが裏声を頻繁に活用している。私が鈴木愛理の歌に厳しく評価を付けるのも、期待値の表れと裏声多用に対する不満からであるのだ。

 島唄は高音を大きく発声させ歌う。南国の空の下で歌うに相応しいスタイルだ。島唄は古くから若い男女のパーティーのような場でも歌われてきたのだそうだ。想いを寄せる相手に届けるため、強く明るく歌わなければ届かない。
 裏声多用の歌手の方々は、歌を届けるという基本的な事を思い出し、力強く歌を届けてほしいと願う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »