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2010年3月

菜の花列車紀行

 春はよく房総半島に出かける。この時期の房総は、あちこちに菜の花が咲いている。菜の花の鮮やかな黄色は町に春を連れてくるように思えてくる。菜の花は千葉県の県花だ。

 私のオススメ房総巡りコースは、時計回りに回るルート。房総半島は広いので電車賃がかかるから青春18きっぷがお得だ。

 まず午前中は外房線の旅。大網、茂原、上総(かずさ)一ノ宮と過ぎていくと、だんだん景色も郊外の風景から農村的なものに変わっていく。東京からの快速も上総一ノ宮までである。
 いすみ鉄道の乗り換え駅である大原で降りて、バスなどを利用して九十九里海岸を見に行くのも良い。大原までのルートは、市原市の五井を起点とする小湊鉄道からいすみ鉄道を乗り継いでやってきても良い。房総の山地はさほど高くはないが、山越えの雰囲気は味わえる。

 外房線は御宿(おんじゅく)を過ぎたあたりから海岸線を往く。港町である勝浦で降りて魚介類を味わうのも良い。千葉を10時過ぎに出発すれば、勝浦の辺りで昼前だ。
 勝浦の先に行川アイランドという駅がある。「なめがわ」と読む。この駅は名前のテーマパークの最寄り駅だったのだが、閉園となってしまった現在は寂れた無人駅になってしまった。駅の回りは草むした空き地で無人地帯だが、駅前の国道は車が頻繁に通っている。そのギャップがもの悲しい。

 安房鴨川で外房線から内房線になる。鴨川は観光地なので海岸も賑やかだが、そういう雰囲気は求めていない人は更に先へ進んでみよう。外房線から内房線への接続は良い。

 安房鴨川から館山にかけては、よりひなびた沿線風景になっていく。安房鴨川~千倉は特急も走らず鈍行だけだから、小さな漁村を結ぶローカル線の趣きがある。江見(えみ)、和田浦、いずれの駅も海が近い。和田浦のホームには色とりどりの花が咲く。駅横の観光センターが貸してくれる貸し自転車が、「1日500円。2日で1000円」と安価なのも嬉しい。

 館山は駅前も広く、観光地だから土産物屋もある。駅から海岸への道も整備されていて風情には欠けるが、海岸の広々とした眺めは良い。そろそろ日が傾き始めた頃だ。内房線に乗るのを後にした理由は、夕日が海に沈むのを見るためである。内房線は、房総半島の西海岸を走る。
 夕日を眺めるなら静かな海岸を選びたい。保田(ほた)、浜金谷、上総湊、いずれもほどよく静かな海の町だ。
 浜金谷からは東京湾フェリーが横須賀市の久里浜港とを結んでいる。神奈川県の人には、フェリーを使った方が近道だ。乗り場は浜金谷駅前にあり、そこで魚介類のお土産も買える。甲板から夕日を眺めるのも良いものだ。ただし、春先は海が荒れる事も多いので注意。上総湊は線路脇にたくさんの菜の花が咲く。

 内房線は北上するにつれて、海岸はだんだん遠ざかっていく。元モーニング娘。の保田圭さんの出身地である大貫を過ぎ、やがて君津市、木更津市と入っていくと、もう都市電車の雰囲気が漂い始める。君津は東京からの快速の終点だから、やはり都市路線とローカル線との境目なのだろう。
 海岸は見えなくなってくるが、姉ヶ崎辺りの巨大煙突群の眺めには圧倒される。京葉工業地帯である。
 風景はローカル線のものではなくなってくるけれど、線路沿いには変わらず菜の花が咲き沿線を黄色に染めている事だろう。春が近い事を感じる眺めである。

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ユージン・スミスと水俣

 写真好きでカメラを趣味にしている人なら好きな写真家がいると思うけれど、私が外国の写真家で好きな写真家はユージン・スミスである。
 ユージン・スミスは、アメリカのライフという写真雑誌で活躍した写真家で、社会的メッセージが強い写真が並ぶ同誌において、自らの写真に随筆を加えた「フォトエッセイ」というスタイルの先駆者として活躍した。

 そのユージン・スミスが仕事で来日した時、新幹線の中でカメラ一式を盗まれた。
 困っていたユージン・スミスに、ミノルタがSR-T101という当時(昭和40年代)ヒットしていた一眼レフと、交換用のロッコールレンズを贈った。ロッコールレンズとは、ミノルタのレンズのブランド名で、六甲山から名付けられた。ミノルタは大阪の会社である。

 こんなエピソードがある。
 ユージン・スミスは飾らない人柄なのか、サントリーレッドという安ウイスキーを愛飲していた。それを知ったミノルタの関係者が、サントリーにサントリーレッドのCMにユージン・スミスを使ってもらえないかと打診した。日本での取材に於いて、スミスはお金に余裕がない状態で、ミノルタとしては援助の気持ちであった。
 しかしスミスは、「私は好きでレッドを飲んでいるんだ。人に勧めたりするつもりはない」と断ったそうだ。
 そんなユージン・スミスだが、ミノルタSR-T101の広告には登場している。ミノルタへの恩に応える気持ちであったのだろう。

 日本を取材していく上でスミスは、昭和40年代の日本に於いて社会問題になり始めていた公害病に注目する。

 スミス夫妻は熊本県に移り住み、月日をかけて水俣病の取材を始める。
 水俣病
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85

 社会科の教科書などで私も見た事があるが、有害物質に体を侵された患者の方々が、熊本県水俣市に大勢いた。ユージン・スミスは水俣病に苦しむ人達、子供達をSR-T101で撮っていった。
 そして、その写真をまとめた写真集「水俣」が発売され、世界中に衝撃を与えた。
 世の中が公害病対策について本腰を入れていくきっかけとなった事柄の一つ。そう言えそうな一冊なのである。

 ユージン・スミスは自身の展覧会で、こう語ったそうです。
〜私の写真の全てを憶えていただかなくて良いのです。たくさんの写真を見て何かを感じとってくれたなら、それで良いのです。一枚の写真で人の気持ちを動かす事が出来る。私はそう信じています。〜

 ユージン・スミスの晩年には悲しい出来事もあった。(下記のURLを参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9

 しかし、彼が心を込めて写真から伝えたかった事は世界中の人々に伝わった。
 水俣病に苦しむ子供に話しかけるユージン・スミスの写真を見た事があるが、彼の表情は優しさに満ちていた。

 私はミノルタのカメラ、レンズのファンだが、ミノルタを使う写真家で真っ先に思い浮かぶのがユージン・スミスである。ロッコールレンズのロゴを見ると、彼の志を思い出すのだ。

 昨日、ニュースは水俣病未認定患者の損害賠償問題の和解を伝えた。

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能代のヤツメウナギ

 初めて東北を旅したのは3月だった。二日目に青森県の五所川原(ごしょがわら)に行き、リンゴ畑の広がる岩木山の麓を往く五能線に乗って、秋田県の能代(のしろ)を目指した。

 私の乗った列車は「ノスタルジックビュートレイン」という客車列車。茶色いディーゼル機関車が、茶色と黄色のツートーンカラーの客車を引っ張る。
 私の乗った指定席は向かい合わせの座席にウッドテーブルが付き、天井には三枚羽根の大型扇風機が付いている。これは飾りで、エアコンは付いているのだが、このようにレトロな内装の列車である。しかし、観光シーズンではないから乗客はまばらで、地元の人が乗っている後ろの自由席車両もあまり人がいない。
 列車は日本海の荒波を横目に見ながら、波で削られた岩が並ぶ海岸を走る。人家は少なく、駅も小さな無人駅ばかり。指定席には展望デッキが付いている。ドアを手で開けてデッキに出ると、冷たい風が頬を刺してくる。濃い紺色の海に夕日が沈んでいった。

 19:00過ぎに能代に着いた。駅の近くにアーケードがあるが、既に多くの店は閉まり、ドーナツ屋とパチンコ屋が灯りを見せるのみ。
 私は駅から一番近い飲み屋に入った。

 小上がりの座敷とカウンターだけの店には先客はいなかった。私は旅行鞄とハーフコートを座敷に置いてカウンターに座った。
 ビールといくつかのツマミを頼み、日本海の夕日を思い出しながら味わう。初老の主人は無口に黙々と料理を作っている。
 ビールの瓶が空いたので、次は秋田の有名な地酒の一つである両関を頼んだ。これに合いそうな肴を思案していたら、壁に貼られたヤツメウナギという文字が気になり注文。

 目の後ろに空気孔が並んでいるかので八ツ目に見えるという。名前は知っていたが、食べるのは初めてだ。それを主人に伝えると、ようやく無口な主人が喋り出した。

 ヤツメウナギは市内を流れる米代川に行き、主人が自ら捕ってくる。滋養強壮の効き目が凄い。そんな話を聞きながら食べたヤツメウナギは、ナンコツのようなコリコリした歯応えのあるウナギであった。

 ようやく話が弾み始めたら、お客さんがやってきた。「見慣れない人がいるね。どこから来たの?」と聞かれ、そのおじさんは隣に座る。私が川崎から来た事を話すと、おじさんは「川崎か懐かしいな。俺は出稼ぎで鶴見で働いていた事があるんだよ」と答えた。
 ここからは、物静かな主人、明るいおじさん、自分の三人で話に花が咲く。
 能代市は昔は7万人くらい住んでいたが今は五万五千くらいである事。高速道路のインターが、青森県寄りの町大館市に出来てからは大館市の方が発展している事。今はバスケットボールで町おこしをしている事などが話題になる。能代市は高校バスケットの強豪能代工業がある。
 あまり景気は良くなさそうではあるが、二人とも地元への愛着は人一倍なようであった。居酒屋で知らない人と話をするのは初めてだった私だが、旅先で飲み屋に入ってコミュニケーションする楽しさを教えてもらった夜であった。

 「また来ます」と名残惜しく店を出た私は、予約していた駅前のホテルまでの道をほろ酔い気分で歩くのだった。

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ジャーニーコニカ

コニカ(小西六写真商会)は日本最古のカメラメーカーだ。戦前に「パール」というスプリングカメラの名機を生み出している。真珠の如く優雅なデザインのカメラだ。

 そんなコニカの代表作の一つが「コニカC35」。いくつかのバリエーションモデルがあるが、初代モデルは「ジャーニーコニカ」という愛称を持つ。
 ジャーニーとは小旅行という意味だが、ちょっとしたお出かけにピッタリな小柄で割と軽いカメラだ。ファインダーの中には露出を示す針が動く。そのいかにもクラシックな雰囲気が素敵だ。

 レンズはヘキサノンという名のレンズが付く。六角形を意味するヘキサゴンをもじったネーミングだろう。小西六の六という訳だ。
 このヘキサノンレンズの描写が良いという事で、ジャーニーコニカは人気がある。私は以前から欲しくて探しているカメラなのだが、ヒット作ゆえに数は豊富だが良い状態のものが少なく、未だに手に入れていない。
 エルビスプレスリーの歌に「センチメンタルジャーニー」という歌があるが、ジャーニーコニカを持って、センチメンタルな旅をしてみたい。日本海沿岸の旅がイメージ。

 C35はその後、フラッシュ内蔵の画期的なカメラ「C35EF」ヒッカリコニカ。世界初のオートフォーカスコンパクトカメラ「C35AF」ジャスピンコニカへ進化していく。
 安いけれど写りが良いカメラを作るのは、コニカがフィルムも作っていたカメラメーカーだからだろうか?
 コニカに限らず、フジ、コダック、アグファ。いずれも、安価で良い写りのカメラを作りながら、フィルムも作っていたメーカーである。

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星空のZOO

 私は子供の頃から動物が好きで、よく動物図鑑を読んでいた。動物園に行くのも大好きで、上野動物園のパンダのような人気者以外にも、自分にとってのお楽しみは尽きず、園内の爬虫類館のような所にも喜んで行く子供だった。
ただ、犬に吠えられるのは苦手で、日頃は犬を出来るだけ避けている子供だったが、田舎の新潟には犬がいた。新潟には夏休みを始め、学校の長期休み期間に訪れていたが、犬も最初は憶えていないから、初日は「誰だこの人?」という感じで激しく吠える。それが苦手であった。
 しかし、元来が動物好きだから、三日も経てばすっかり仲良しになり、毎朝の散歩も楽しかった。近くの小学校の校庭に犬を放すと、嬉しそうに犬は駆けていった。

 今住んでいるマンションで始めて大きな(?)ペットを飼った。昔住んでいたアパートでハムスターや亀や小鳥などは飼っていた事はあるが、今飼っているのは猫。アビシニアンという洋種である。

 正直言って今までは、動物が好きだからペットを飼うのは気持ちの踏ん切りがつかなかった。いつか訪れる別れが怖かったのだ。でも、本当の動物好きなら、生命の尊さを理解して、いつか訪れる別れよりも、一緒に過ごす年月の豊かな思い出を取るものだ。そう今は思えるようになった。

 いつか別れはやってきても、想い出の中に楽しかった日々は深く刻まれる。その刻まれた想い出が深いほど、天国で旅立っていった動物も幸せなのではないだろうか。
 「この人と過ごせて良かった」
 そう思いながら天国に旅立っていった動物達のZOOがどこかにあるかもしれないと妄想する。幸せな想い出を持って旅立っていった動物達が集う場所が。

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一人っ子のA 型

 私は12月生まれのAB型。つまり亀井絵里さんと同じである(星座は違う)。
 AB型はバランス感覚に優れるからか、どの血液型とも仲良くやれるが、A型の人と仲良くなる事が多い。これは、血液型相性占い通りでもあるのだけれど、面白いデータ(?)があって、一人っ子のA型の子と特に仲良くなる。

 何故なのかはわからないが、私は割と相手を放任させるので、それが一人っ子の人には居心地良いのかなと思ったりする。
 放任するだけではなく、相手が優しさを求めているような時はそれに応える事はします。

 でも、決定的な答えはわからない。結果としてあるのは、A型の人で仲良くなる子は一人っ子が多く、仲良くなる子が一人っ子だとわかると大抵A型であるという事。

 誕生月と半年分離れた人、或いは隣の月の人とは相性が良いと聞く。その占い通りにいくと自分の場合は、6月生まれ、11月生まれ、1月生まれで、A型の人が相性バッチリという事だ。一人っ子なら尚良い。
 ハロプロメンバーで該当する人はいるのか?元メンバーなら一人いた。有原栞菜さんだ。栞菜は6月生まれの一人っ子のA型。
 一度、栞菜とじっくり話をしてみたい。果たして相性バッチリか?

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銭湯の娘

 三月の旅の話。三月に北海道の網走に行った事がある。凍てつく寒さの中、夕方網走に着いた私は、店が並ぶ通りで良さそうな郷土料理店を見つけ、オホーツクの海の幸を味わい、外は寒いのにビールなどを飲み店を出た。

 アーケードに掲げられたデジタルの気温計はマイナス15度を下回り、寒いを通り越して肌が痛いのだが、冬の北海道の旅も二日目を過ぎたあたりで体が慣れてきたのか、数字ほどは寒さを感じない。

 今夜はホテル宿泊ではなく札幌行き夜行列車(オホーツク10号)に乗るのだが、まだ時間はあるのと、風呂に入らないと落ち着かないため銭湯に向かった。 予め調べていた銭湯が駅の近くにあるのだ。

 川に架かる橋を渡り、やってきた銭湯は住宅街のはずれみたいな場所にある。暗闇でよくわからないが裏は林らしい。
 古い建物だが意外に大きい。しかし、人の気配がしない。サッシ戸を開け中に入ると、番台には中学年くらいの女の子が座っていた。
 私は銭湯が好きで旅先でよく入りに行くが、番台に女の子が座っているのは非常に珍しい。年頃の子がいれば悪ふざけをする男性客が現れるかもしれないから、まあ他では見かけないのは当然の事だろうと思う。

 トイレは汲み取り式、くだびれた壁、しかし天井が高く広い銭湯だ。そんな広い銭湯に今いるのは自分とこの子だけみたいである。
 更衣室も浴室も誰もいない。聞こえてくる音は自分が発する音だけだ。浴槽に浸かると暖かい筈が、外の寒さから解放された安堵からか身震いした。

 風呂から上がると、番台はおばさんに替わっていた。結局、自分以外のお客さんは入って来なかった。

 外を歩き始めて数分。駅に向かう橋を渡る頃には、髪に付いた水滴が凍り、試しにタオルを持ちながら歩いたら、駅に着く頃にはカチカチになった。

 私は北海道フリーきっぷという、指定券も無料購入出来る切符を使って夜行列車の指定券を入手済みなので、暖房の効いた待合室に入って発車時間を待つ。夜の網走駅は人も少なく、この寒さに歩く人もいない。ひっそりとした夜であった。

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鉄道旅情写真

 昨日「CP+」というカメラのショーに行ってきました。デジカメから三脚やバッグといった用品まで、色んなメーカーが集まって行われていました。
 ショーだから当然のようにキャンギャルがいる。そこに群がる中年男性達を横目に、私はソニーのブースから借りたデジタル一眼レフと、15万円クラスのレンズを持って、何枚か試しにキャンギャルを撮ったあと会場をスナップしていた。

 一時間のレンタル時間が終わり、カメラとレンズを返却後、改めて会場内を歩くが、相変わらずキャンギャルに群がるアマチュアカメラマン男性達の必死さが目につき、精神的に疲れてきた。そんな頃、ちょうどニコンのブースで、私の好きな鉄道写真家中井精也さんのトークショーが始まったので観に行った。

 スライドに自身の作品を写しながら喋る中井さんの口調はイメージ通り。ほのぼのとした人。中井さんは「ゆる鉄」という鉄道写真集を出している人で、普通の鉄道写真とはちょっと違う写真を撮る人です。

 中井さんは「彼女に贈れるような」鉄道写真を撮りたいのだと解説しながら、ゆる鉄なほのぼの鉄道写真を紹介していきます。桜に囲まれた大井川鉄道。大きないちょうの木のある秋田県の由利高原鉄道の無人駅と、走り去る列車の後ろで線路を渡る女子高生。
 この由利高原鉄道の写真は夕暮れ時。私がこの地を訪れた時と同じような時間、同じような光景。胸が熱くなり旅に出たくなりました。

 中井さんは学生時代に撮った、北海道のローカル線の線路の上にいるキタキツネの写真で、鉄道雑誌の写真コンテストで金賞を授賞。その縁でプロになったそうです。
 そして、鉄道写真家の第一人者の一人、真島光秀さんの弟子として修行したそうです。
 真島さんの弟子時代の写真を紹介しながら、叱られ殴られた思い出などを懐かしそうに語る中井さん。
 そして、中井さんはふとこう語りました。「今日(3/14)は真島さんが亡くなられてちょうど一年なんですね」

 スライドには一枚の黄昏時のローカル線の写真が写し出されました。真島さんの告別式に出席したあと、真島さんのご自宅のある軽井沢から小海線に行き写した一枚だそうです。
 小海線は、山梨県の小淵沢から長野県の小諸を結ぶ八ヶ岳の山麓を往くローカル線。写真は、日が沈み始めてきた空の下、平原を走るディーゼルカー。大地と列車はは黒い影で映り、空は白く輝いている。
 写真は撮影者の心を写すもの。この色合いに、中井さんのこの時の気持ちが溢れているような気がしました。

 同じ黄昏時の写真でも、家路に就く女子高生といちょうの木と由利高原鉄道のディーゼルカーの淡い夕日。暗い夕日の影に照らされた大地を往く小海線のディーゼルカー。こんなにも違う。

 中井さんはこんな事をおっしゃっていました。
 「真島さんの受け売りじゃないですけど、鉄道は人が動かし、人を運ぶもの。だから、人と鉄道の触れ合いを撮りたい。見た人が旅情を感じるような写真を撮っていきたいです」

 私は、この中井さんの話を聞けただけでも、CP+に来て良かったと思うのでした。

 この日、自分が撮った写真をいくつか紹介します。
「CP+にて」
http://www7.atpages.jp/~wolfcamera/wolfcamera/img/up5121.jpg
http://www7.atpages.jp/~wolfcamera/wolfcamera/img/up5122.jpg
http://www7.atpages.jp/~wolfcamera/wolfcamera/img/up5123.jpg
http://www7.atpages.jp/~wolfcamera/wolfcamera/img/up5124.jpg
http://www7.atpages.jp/~wolfcamera/wolfcamera/img/up5125.jpg
http://www7.atpages.jp/~wolfcamera/wolfcamera/img/up5126.jpg
カメラα330 レンズSONY STF135mm T4.5

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城島健司と九州

 サッカー選手は契約に関しては、あくまで選手側に選択の自由があると言えるやり方だが、プロ野球選手は球団が権利を持っている。大雑把に言えば、Jリーグは新人の頃からフリーエージェントの資格を持っているようなものである。
 だからか、チームがJ2に落ちれば、選手はJ1でやりたいからと移籍する事も珍しくない。昨シーズンオフに大分トリニータから多くの選手が退団していったのは、まだ記憶に新しい。
 サッカーはそういう背景があるから移籍は盛んだし、あまりネガティブには捉えられない事が多い。試合に出られるチームに移籍をする事は当然という空気もある。

 しかし、選手がなかなか自由に移籍を出来ないプロ野球は、例えチーム事情的に致し方ないとしても移籍にはネガティブな空気がつきまとう。

 シアトルマリナーズを退団した城島健司選手が日本プロ野球に復帰、今年から阪神タイガースでプレイする。一応入団交渉にはタイガースのみならず、古巣の福岡ソフトバンクホークスも当たった。
 しかし、城島がマリナーズに移籍後、長らくキャッチャーが育たず苦労していたホークスも、昨年に田上というテスト入団から這い上がってきたタフな選手が台頭してきた。待望のレギュラーキャッチャーである。
 せっかく田上が伸びてきたのだから、彼を使い続けるのが正解である筈。しかし、地元九州出身のスター選手城島は復帰させたい。そんなジレンマがホークスにはあった事だろうと思う。

 結果的には是非欲しいという気持ちが強い方に決まるという、わかりやすい結果になった。城島としても、これが正解だと思う。ホークスにとっても。

 しかし、城島がホークス以外のユニフォームを着る事には未だに慣れない思いを抱きながら、同じリーグではなかった事に救いを見出すのだ。

 昔、試合を見終えてから友人と飲むために中洲を歩いていたら、キャバクラのお姉さんに「ホークス勝った?」と聞かれた事がある。その時の私は観戦後だから、バッグに緑とオレンジのメガホンが刺さっていたのである。
 勝った事を伝えると、お姉さんは喜んだ。お姉さんは「私、城島と井口が好き」と言った。二人とも今は別なチームの選手になってしまった。時の流れは無情だ。

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私の途中下車人生

 2/25に角川文庫から発刊された宮脇俊三さんの「私の途中下車人生」を先日読み終わりました。
 宮脇俊三さんは鉄道紀行の第一人者と言える作家で、風景描写、乗客などの人物描写、それらをわかりやすく、深みのある表現で綴る方です。
 一般的に鉄道本というものは趣味性が強く、知識の乏しい人が読むには辛いものが多いのですが、宮脇さんの本は、このように読みやすく旅情を誘い臨場感溢れる文で展開します。読んでいると、その場所に行ったような気分になれるのです。
 そのような作風だからか、ファンレターは男性より女性が多かったそうです。

 その宮脇さんが、自らの半生を語ったものをまとめたインタビュー本(語り下ろしという)がこの本です。
 渋谷で過ごした幼少期〜戦時下の学生時代〜戦後の大学生活〜出版社での編集人時代〜会社を辞めて紀行作家になってから。という流れで面白おかしく語っていきます。

 宮脇さんはサラリーマン時代に務められていた中央公論社からは自身の本は出版せず、河出書房、日本交通公社(限JTB)、新潮社、文藝春秋社、角川書店、集英社、講談社など、色んな出版社から数十冊の本を世に送り出しましたが、この本は長らく文庫化されず幻の本になっていました。
 それを角川書店が文庫化したもので、おかげさまで私も今回初めて内容を知る事が出来ました。
 発売日には、宮脇さんの実娘である宮脇灯子さんの「父・宮脇俊三への旅」も文庫化されました。私はこちらは新刊時に購入しましたので、文庫は今回は購入いたしませんでした。こちらの本は、父親としての宮脇俊三さんの姿と、晩年の闘病生活を綴った本です。

 発売日の2/25は宮脇俊三さんの命日の一日前でした。早いもので、宮脇さんが天国に旅立たれて七年となりました。
 今でも、いやむしろ年月を重ねる毎に宮脇さんの話題は尽きず、新しいファンも増えているようで、絶版本が次々と装丁を新たに文庫出版されています。読みやすくて深みのある宮脇さんの紀行文は色褪せる事はないという事なのでしょうね。
 私の一番好きな作家さんです。

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美瑛

 先日、図書館から鉄道紀行ライターでありカメラマンである矢野直美さんの「北海道のんびり鉄道旅」という本を借りてきた。
 ちょっと里田まいに似た雰囲気の矢野さんは、里田まいと同じ札幌市出身。JR北海道の特急の車内などにあるPR冊誌に連載していたものをまとめた本で、JR北海道全線を四季に分けて訪ねた一冊。ふんだんに掲載された写真も綺麗。富良野のラベンダーから流氷のオホーツクまで、北海道のシーズンズがパッケージされた本です。

 私も花を求めて六月の北海道を旅した事がある。富良野線の上富良野で降りてラベンダー畑に行ったが、ラベンダーはまだ咲いておらず、畑は緩やかな緑の丘であった。

 富良野線を北上していくと美瑛(びえい)という町がある。丘の町と言われ、色んなCMに美瑛の丘が登場しているそうだ。モーニング娘。の「ふるさと」のPVも美瑛で撮っている。
 美瑛は美瑛石の産地でもあり、小さな駅舎はグレーの石を煉瓦積みしたような可愛らしい駅舎。

 美瑛はあまり大きな町ではないから駅前通りは細い。その通りには、ブティックや洋菓子屋も並ぶ。小洒落た洋風の建物に統一されている通りは、とても静か。空は青い。

 すぐ駅前通りは尽き、道は上りになる。いくつか分かれている道は、どの道を辿っても緩やかな丘にたどり着く。
 丘の上に立つと目の前には、なだらかな稜線を描く丘がいくつも並び、それぞれの丘にポツンと何本か樹を従わせている。木には「セブンスターの木」などと、それぞれに名前が付いているのだそうだ。CM役者の揃う美瑛の丘であった。

 快晴の空の下、上り道を歩いても汗をかかないのは、湿気の少ない北海道ならでは。
 美瑛から旭川行きに乗り込むと、山を西日が照らす風景に出会えた。
 白いボディにラベンダー色のラインが入った富良野線のディーゼルカーは、黄昏を満喫しながらゆったりと走っているかのようだった。

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PSPのバージョン

 今日仕事帰りに本屋でゲーム雑誌を立ち読みした。新作チェックである。
 最近は話題作がPSPで出る事が多くなった。ソフト売上チャート上位もPSPのソフトが並ぶ。最近出たソフトだと、キングダムハーツは面白そうだ。

 我が家のPSPは初期型、つまりPSP-1000なのだが、先日「アイドルマスターSP」をプレイするためにバージョンを上げてしまった。アイマスは古いバージョンだとプレイ出来ないのだ。
 ああ、カスタムファームウェアが出来なくなった。いや、まだやっていなかったのだが。

 うちのPSPの次のモデル、PSP-2000からはHDMI端子を使ってモニター出力が出来るようになった。正直2000か3000が欲しい。ゲームはやっぱり大きい画面でやりたい。
 今持っているPSP-1000の色はブルー。この色が綺麗で気に入っているので、このPSPは手放さないつもりで、もう一台グリーンのPSP-2000あたりをほしい今日この頃だ。
 もっとも、PSPをもう一台買うお金があるなら、WiiかXbox360を買うが。
 それはともかく、アイマスをたらなくては。担当アイドルのキャラクターの子の名前を一瞬忘れていた。やよいちゃんの名字は大阪北部の町の名前だった。吹田やよい、茨木やよい、門真やよい、枚方やよい、違う。思い出した。高槻やよいだ。

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氷見線

 初めて北陸を旅したのは3月だった。名古屋から特急「ワイドビューひだ」に乗り、飛騨川の渓谷美を眺めながら富山に着き、夕方富山県第二の規模の町である高岡に着いた。
 高岡の駅前には小さい規模ながらロータリーの地下に店が立ち並んでいて、そこで蕎麦を食べたあと、加越能鉄道万葉線という路面電車に乗って宿泊先のホテルを目指した。夜の路面電車は学校帰りの女の子や、買い物帰りのおばさんを僅かに乗せて、灯りがさほど多くない駅前通りを走った。

 翌朝、ホテル近くのJR氷見線の越中中川駅に向かった。越中(えっちゅう)とは富山県の昔の呼び名である。
 住宅地の中の小駅といった風情の越中中川は、高岡駅方面に向かう人は多いが、氷見に向かう人は少ない。やってきた氷見行きはやはり空いていた。

 列車はしばらく住宅地を走ると、やがて製紙工場が連なるエリアに入っていく。伏木という駅では工場が回りにそびえ、ホームの横には木材を積んだ貨車が停まっていた。
 およそローカル線らしくない眺めが続いた氷見線は、伏木を出ると右手前方に日本海を見せ始める。まっすぐに海に向かった列車は海の手前で大きく左にカーブし、ここからは海岸列車になる。堤防すれすれを往く。

 源義経が武蔵坊弁慶と雨宿りをしたという言い伝えがある雨晴海岸が近い雨晴(あまはらし)で降りてみたくなるが、このあとの予定が詰まっているため我慢して終点氷見に着いた。

 氷見は漁港の町でブリが有名だが、予定が詰まっているため時間がなく、すぐ引き返す。せめてと駅の写真を撮っていると男の子に声をかけられた。

 帰りの高岡行きは彼と合い席する事になった。彼は新宿区に住む高校生で、周遊券を使って北陸を旅しているという。
 驚いたのは宿泊代倹約のために、夜行列車を宿代わりにしているという話だった。周遊券は特急や急行の自由席に料金無しで乗れる。北陸本線には、大阪と新潟を結ぶ夜行急行「きたぐに」という列車があり、彼は「きたぐに」を宿代わりにして宿泊代をタダにしているのだ。
 さすがに、一週間に一回はホテルに泊まる予定です。と語る彼は疲れた様子もなく、二週間くらいの北陸の旅を満喫するのだそうだ。こういう貧乏旅行も学生時代ならではだなと思う私も周遊券で旅をしているが、私は三泊四日全てホテル宿泊である。今日はこれから福井だ。

 新潟方面に向かう彼と高岡に着いてから別れた。足取りは軽く、不思議な充実感を感じた。

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春を代表する花

 三月です。春です。花粉症です。
 春の歌というと、桜をテーマに歌ったものが多いけれど、毎年毎年桜の歌が必ずチャートに上がってくるから、いい加減飽きた。いくら桜が日本の国花であり馴染み深い花とはいえ、桜の歌がこれだけ世の中に氾濫しているのに、まだ作るのかと、アーティスト側の良心を疑ってしまうのだ。これは別に某アイドルグループの事を言っているのではない。

 自分にとって春の花というイメージは梅であり、菜の花だ。私はよく春になると千葉県の房総半島に出かけるが、これは線路脇などに咲き乱れる菜の花を見たいという理由が大きい。今年も房総方面に行ってみたい。
 梅に関しては街中でも咲いているので、桜同様に身近な花だ。桜よりも咲いている期間が長いのが良い。桜はその短い開花期間にワビサビを感じるというのもあるのは確かなので、長い短いで優劣はつけ難い。

 綺麗さで行ったら、桃の花も捨てがたい。春に山梨方面に行くと、果樹園に桃の花が咲いて綺麗だ。甲府の手前、山梨市あたりが特に良い。
 桃の花の色の柔らかさは、まさに桃の果実の柔らかさに通じるものがる。淡く柔らかい色が低い木々を彩っている姿は、まさに桃ならではで、桜や梅と同様にもっと注目されてもいいと思うのだが、桜や梅を見にわざわざ遠出する人は多くても、桃の花を見るために遠出する人は少ないであろう。私が山梨で桃を見たのも、桃が目的ではなく、コンサートやサッカーの観戦で甲府に行くため中央本線の電車に乗り、その車窓として眺めた結果である。

 だからこそ、桃の花をもっと評価してほしいと、自戒も込めて言いたい。私も今度桃を見に山梨に行ってみたいと決めた。

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